パソコンの進化が止まったとき、あなたのやるべきこと

新型iMacが象徴する、パソコンの進化の限界

 本日(2014年10月17日)未明、Appleの新しいデスクトップパソコン、iMacとMac miniが発表され、即日発売が開始された。
Appleが、コンシューマ向けのデスクトップパソコンを発表会で紹介するのは、ずいぶん久しぶりだ。最近のAppleの主力はiPhoneやiPadなどのモバイル製品で、その次がノート型のMacbook。デスクトップパソコンである、iMacとMac miniもそれなりに売れているのだが、かつて一世を風靡したハイテク製品だったiMacは、いまでは平凡な枯れた製品になってしまった。

 今回、久しぶりにメディアの前でデスクトップMacが発表されたのは、超高解像度ディスプレイ(Retina Display)の搭載という久しぶりのトピックがあったからだ。それも、今年の家電やITのキーワードだった4K(3840×2160ピクセル)を大きく超える、5K(5120×2880ピクセル)という圧倒的なスペックを搭載してきた。

 他メーカーが4Kディスプレイの新製品を次々と投入してくるのに対して一回り大きな5Kディスプレイを搭載したことは、単純なスペック比較において勝っているだけでなく、4K画質を縮小せずに編集できるので、4Kビデオを編集する機会が今後増えるであろう映像のプロにとっては非常に魅力的だ。

 新型iMacのもうひとつの改良ポイントは外部機器との入出力スピードで、従来のThunderboltよりも2倍速くなったThunderbolt2を搭載した。これも巨大な4Kビデオデータを読み書きするときには便利なはずだ。
逆に言えば、4Kビデオの編集を行わない一般の人にとっては、5Kのディスプレイを積んだ新型iMacは、数字が凄いだけの意味の分からないマシンだとも言える。

 最近ようやくYouTubeでフルHD(1920×1080 ピクセル)の動画が少し増えてきたけど、iTunes Storeで販売されているミュージックビデオがいまだにDVD画質(720×480 ピクセル)であることを考えれば、4Kの映像コンテンツが潤沢に供給されるのはまだまだ先の話であり、5Kの新型iMacは映像のプロや一部のマニア向けの製品ということになるだろう。
そのためか、今夏の新型iMacでは5Kディスプレイモデルのほかに従来と同じ2K(2560×1620 ピクセル)モデルも残されている。一般の人はこちらを買えということだ。

パソコンはもう型落ちでも構わない

 この原稿を書くのに使っている僕のマシンは2011年5月に発売された27インチのiMacだ。もうすでに3年半前のマシンだが、性能的に不満を感じることはない。昔のパソコンは3、4年経つと機械的にはなんの問題もないのに、スペック面で新機種と差が開きすぎて、最新のOSやアプリが利用できず、仕方なく新機種に買い替えるというサイクルを繰り返してきた。そのおかげでパソコン産業は急拡大できたともいえる。

 たとえば10年前だと、2001年春に発売されたiMacと2004年夏に発売されたiMacの最上位機種では以下のように差がある。

2001年春(2月21日発売)
– CPU:PowerPC G3 600MHz
– ディスプレイ:15インチCRT・1024×768ピクセル

2004年夏(8月31日発売)
– CPU:PowerPC G5 1.8GHz
– ディスプレイ:20インチ液晶・1680×1050 ピクセル

 なんと、CPUはG3からG5へと2世代も進化し、動作クロックも3倍になっている。ディスプレイもブラウン管が液晶になり、ピクセル数も約2.2倍になっている。

 いっぽう、我が家のiMacと本日発売の新型iMacの2Kモデルの最上位機種の比較はこうだ。

2011年春(5月3日発売)
– CPU:Core i7(クアッドコア)3.4GHz
– ディスプレイ:27インチ液晶・2560×1440ピクセル

2014年秋(10月17日発売)
– CPU:Core i7 (クアッドコア) 3.5GHz
– ディスプレイ:27インチ液晶・2560×1440ピクセル

 我が家のiMacはAppleStoreのBTOで高速なCPUに変えたので、最新のiMacも同じくBTOで高速なものを選択したが、なんとCPUは0.1GHzしか高速化していない。

 この3年半の間、CPUはまったく進化していないのかといえば、省電力化を中心に改善が図られてきた。とはいえ、一番肝心の処理能力はあまり変化していないのだ。

 ディスプレイについても、視野角や省電力などの改善が図られている。また、なによりボディが変わった。正面から見るとほぼ同じだが、新型はDVD-Rドライブを外付けにして、非常に薄型化され、廃熱も少なくなっている。iMacは製品としてちゃんと進化している。

 しかし、昔のように古いマシンでCPUパワーやメモリが足りなくて新しいOSやアプリが使えないということが起きにくくなってきたのも事実だ。

 iMacより遙かにCPU性能の低いMacBook Airの2012年モデルも使っているが、こちらに最新のMac OS X Yodemiteをインストールしてみたが、やはり、なんの問題もなかった。

 つまり、型落ちのパソコンを使ってもあまり問題のない時代になったのだ。

進化が止まったのは喜ぶべきこと?

 1997年ごろ、Appleが倒産寸前の危機にあった頃、ジョブズとともにAppleを創業したスティーブ・ウォズニアクがニューズウィーク誌に寄稿した。話題の多くはコンピュータと教育の問題についてだった。

 米国の小学校にパソコンを導入するとき、全国一斉に導入されるわけではなく、毎年決まった数の学校にだけ導入される。すると、導入された年度によって、学校のパソコンの性能が違いすぎて、均質なコンピュータ教育ができない。当時、ウォズは「パソコンの進化が止まらない限り、この問題は解決しない」としていた。これはたぶん、日本の小学校でも同じだろう。

 いまや、コンシューマレベルで使うには、パソコンもスマホもタブレットも十分な性能に達した。処理能力面での進化が止まったのはパソコンだけではない。今年の目玉となったiPhone 6のCPU処理能力は前年のiPhone 5sから25%しか向上しなかった。25%は小さいとは言えない数字だが、それまでのiPhoneが毎年2倍、3倍という驚異的な性能UPをしていたことを考えると、スマホの進化も徐々に穏やかになってきたといえる。

 1977年にAppleIIが発売されて以来、猛烈な勢いで増してきた個人向けコンピュータの処理能力が、ようやく落ち着きだした。ソフトウェア面でも使い勝手はどんどん良くなっているが、マイクロソフトOfficeに代表されるような事務処理系のアプリやサービスの進化も以前のような革命的な発明は見られなくなった。

ハードウェアではなく、人間が進化する番がきた

 パソコンやスマホはもはやマニアのオモチャでも専門家の道具でもなく、小学生から老人まで誰もが日常的に使う道具になった。

 しかし、誰もが使える道具になった一方で、コンピュータの持つ本来の力が利用されず、単に電気仕掛けで動く紙と鉛筆としてしか使われていないことも多い。

 仕事で日常的にExcelを使っているのに、自動集計のやり方が判らずに、電卓でマス目を集計して記入している人が現実にいる。データの再利用性を無視した、ExcelやWordのテンプレートが氾濫している。メールの宛先でCCとBCCを間違えないように、隣の人に確認して貰ってから送っていたりする。

 コンピュータの根本的な力は「自動化」にある。そして、人間の意志の力は有限であり、使えば減って休息しないと補充されない。1日の限られた時間をつまらないルーチンワークに使えば、別の仕事で創造性を発揮する分が減ってしまう。

 だから人間は、生産性を上げるためにサボれるところはサボすべきなのだ。そのサボるための道具としてこそ、コンピュータの自動化の力が使われるべきだと思う。

 パソコンの進化が停滞してきたいまこそが、みんなが知識を共有して、新しい力を手に入れるときなのだ。

 ちなみに、有限な意志の力というのは、知的作業だけでなく肉体作業でも共有しているそうだ。なのでホワイトカラーだけでなく、ブルーカラーの人も、できる限りコンピュータの自動化の力を使って、積極的にサボる価値がある。

 ただし、コンピュータの自動化の力を使うには、少々の勉強も必要だ。そこで従来なら、「コンピュータ教育」「プログラミング教育」という話になるのだが、それも違うと思う。勉強が好きな人はあまりいない。しかし、人間というものは、勉強のための勉強は嫌いでも、なにか目標を達成するためなら、意外と進んで勉強するものだ。なので、大事なのはひたすらコンピュータを「使う」ことだと思う。

 ただし、いままでのように紙と鉛筆の代わりに使うのではなく、きちんと正しい使い方を指導できる人の下で、ひたすら使って考えるのがいいと思う。

 コンピュータの自動化の力を利用する方法を学ぶのに、必ずしもプログラミングを学ぶ必要は無い。自分の抱える問題を分析し、頻出するパターンをみつけ、それを自動化できないか考える。パターンさえ見つかれば、自動化は可能だ。あとは可能だと信じて続ければ必ず自動化できる。

 いまはSNSがあるから、先生が身近にいなくても、やる気さえあればなんとかなる。もしあなたにやる気があるなら、いますぐ始めるべきだと思う。

 パターン発見と解決を繰り返すうちに、あなたはプログラミングだってできるようになっているかもしれない。

アップルとスティーブ・ジョブズを語るための20冊

スティーブ・ジョブズが逝去してから、早1年以上が過ぎた。

ジョブズは、僕らの生活をまるごと塗り替えてしまったITの革命児として、神格化、伝説化されてしまった。しかし、その現象はわずかここ数年のことに過ぎない。

僕が月刊アスキーでアップルを担当していた1996年から1997年にかけてジョブズがアップルに復帰したが、その頃の一般マスコミの扱いは「創業者が自分の会社に出戻った」という程度のもので、むしろジョブズがマイクロソフトから資金を引き出したことをアップルがマイクロソフトに買収されたかのように「アップル全面敗北」なんて、日本の大手新聞社はデカデカと見出しを踊らせていた。

当時のMacの市場シェアは4%とも2%とも言われ、マイクロソフト+インテル+PCメーカー各社の大連合を前に、とうてい太刀打ちできないと思われ、“アナリスト”は、いずれMacはLinuxにもシェアを抜かれて縮小の一途を辿ると予言していた。

その後、iMacやiPodのヒットでアップルは次第に輝きを取り戻し、iPhoneとiPadによってマイクロソフトを抜いて世界最大の企業価値を持つ会社に成長した。ただ、15年前のジョブズの評価がそれほど高くなかったのは、そんなに不思議なことではない。

その時点でジョブズは、強烈なこだわりによって革新的な製品をいくつか世の中に送り出してはいたが、経営者としても人間としても、エキセントリックすぎる人間として評価が定着していた。

 

また、テクノロジーのビジョナリとしても、必ずしも的を射てばかりではなかった。

  • 最初のヒット製品だった「Apple Ⅱ」は7つの拡張スロットによる柔軟な拡張性によってロングセラーとなったが、開発当時、ジョブズは「接続するのはプリンタとモデムぐらいだから拡張スロットは2つもあれば十分」と主張していた。
  • 最初のMacintoshを開発するとき、ジョブズはネットワーク機能は必要ないと主張した。ジョブズはLANを企業的な管理主義の象徴とみなし、個人のためにコンピュータであるMacintoshをLANにつなぐことを拒絶した。そのため後年のMacは低速なシリアル通信によるネットワーク機能に依存せざるを得なかった。
  • ジョブズは映画産業向けにコンピュータ・グラフィックス専用ワークステーションを販売する会社としてピクサーを設立したが、このビジネスも失敗し、ジョブズは破産寸前だった。

ジョブズの失敗談はいくらでもある。それはジョブズを功績を貶めるものではなく、彼が人よりもたくさんのチャレンジをした結果、成功を収めたこと。そしてジョブズを神格化することの無意味さを僕らに教えてくれる。

もし、ジョブズとアップルに学ぼうというのなら、手軽にまとめられた要約本などではなく、丹念に人々と技術の歴史を追った本を読んだ方がいいと思う。そこには、たくさんのチャレンジとたくさんの失敗と一握りの成功からなる物語がある。

というわけで、ジョブズとアップルについて語れる20冊を集めてみた。どれから読むべきか? というと講談社の公式本『スティーブ・ジョブズ』はいマストだと思うのだが、僕としては『未来を作った人々』と『スティーブ・ジョブズの道』、そして『コンピュータ帝国の興亡』を読んでほしいなあ。あとの2冊は入手困難なようですが、図書館や古本で見かけたらぜひ。


●上記の本棚は、本棚作成サービスのROOKで作成しました。

各本の解説を、ROOK側のページに書きました。ROOKのロゴをクリックすると、本棚のページが開きます。