計算をしない、結果を求めない。気高い葉隠武士の壮絶な生き様 「死ぬことと見つけたり」

先日のスゴ本オフ「マイベスト新潮文庫」のブックシャッフルで、この本を入手した。 スゴ本オフでの紹介は「虎に食われたり、鉄砲で撃たれたり、溺死したり、と毎日、さまざまな死に方を頭の中で想像し、体験してる人の話」というものだった。なんじゃそりゃ? スゴ本オフで紹介される本は知られざる名作、傑作が多い。この本についても読んだ人はみな「面白い」と太鼓判を捺してきた。

いつも死に方を頭の中でシミュレーションしている奇妙な人の話って、哲学的な寓話かなにかだろうか? と思った。そういう話はあまり得意ではないのだが、なんとなく勘が働いて争奪戦にエントリし、ジャンケンに勝ってみごとにゲットしてしまった。

話は、戦争体験から始まる。ランボオと中原中也を愛する熱烈な文学青年でありながら、太平洋戦争の末期に学徒出陣で陸軍に徴兵されてしまった作者は、活字への渇望から文学的価値において無視していた『葉隠』をむさぼり読むようになる。ご存じのように『葉隠』は武士道精神を説くバイブルのひとつで今では有名だ。本書のタイトルも『葉隠』に出てくる「武士道とは死ぬことと見つけたり」という非常に有名なフレーズから来ている。戦争当時は、軍部がこの言葉を軍国主義を浸透させるための道具として利用した。現代においては、武士という独特の生き方をした階級の、異常かつ神秘的な心理をわかりやすく際立たせるフレーズとして用いられるが、実際の所、この言葉の本当に意味するところなど知らないし興味もない、というのは僕だけではないだろう。

そもそも『葉隠』とは現在の佐賀県にあった肥前藩の山本常朝の談話を田代陣基が聞き書きした、肥前藩の武士たちのさまざなエピソードを基に武士社会で生きていくための哲学やマナーを説いた本らしい。勇猛で知られる肥前鍋島藩の武士たち生き方は、武士が官僚化しつつあった江戸時代において危険思想だったらしく、Wikipediaによれば「江戸期にあっては長く禁書の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまうことが慣用とされていた」そうだ。

この「葉隠」を、若き日の作者は軍国主義・全体主義のバイブルではなく、『レ・ミゼラブル』や『モンテ・クリスト伯』や『デビッド・カッパーフィールド』のような冒険と波乱に満ちた痛快この上ない読み物として愛読した。そして後に「葉隠」のエピソードと江戸初期の肥前鍋島藩を襲った歴史上の事件を脚色して書かれたのが、本書「死ぬことと見つけたり」なのだ。

武士道を扱った小説と言えば、森鴎外の短編『阿部一族』が有名だ。本書の舞台となる肥前藩のお隣、肥後藩で実際におきた事件を脚色した作品だ。ここにおいても武士階級の人々の壮絶な生き方、いや死に方が描かれているが、なぜそんな死に方をするのかについて、心情的には活写されているが思想的バックボーンの説明はない。本書はエンターテイメント時代小説の形をとりながら、数百年にわたって戦闘集団としてカスタマイズされてきた武士階級の理想と、平和な時代に官僚化せざるを得なかったために生まれる軋轢と悲劇を、武士階級の誇り高き死に方という形で描いている。

ただ、そんな葉隠武士たちの生き様が、現代社会とかけ離れたファンタジーなのかというと、そんなことはない。彼らの徹底して計算をしない、結果を求めない生き方こそ、さまざまな選択肢の中で揺れ続け、結果としてどこにも進めなくなっている現代の日本人に必要なものではないだろうか。

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ともゆき@zubapita

ともゆき@zubapita

作ったモノ 雑誌:月刊アスキー(デスク)、アスキー.PC(副編集長)、インターネットアスキー(編集長)、アスキーPCエクスプローラー(編集長) Webサイト:東京グルメ/ライブドアグルメ、映画を語ろう、本が好き 著書:「Twitter 使いこなし術」「facebook 使いこなし術」 最近は、株式会社ブックウォーカーにて、「BWインディーズ」をやってます。

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