奇跡も魔法もあるんだよ

本日、午前3時よりTBSで1時間半にわたって、『魔法少女まどか☆マギカ』の完結編が放送された。

前日の21日の読売新聞朝刊には「完結編本日放送」の全面広告。
放送開始とともに、Twitterのタイムラインは深夜とは思えないほどの活況を呈し、午前3時から4時半の間の視聴率はなんと、6.8%もあったという。

予定されていたクライマックスの3話が東日本大震災の影響で放送できなかったという事情があったにしても異例ずくめの盛り上がりだった。

「魔法少女」とタイトルについて、可愛い少女達が魔法少女に変身して戦うお話なのだが、そのストーリーは、ほのぼのした絵柄とはかけ離れた、重苦しいものだった。

夢と希望を担うはずの魔法少女たちが、残酷な運命を課せられ、悩み苦しみ、傷ついていく。少女達が懸命に頑張るほどに、物語は救いを失ない、迷宮に迷い込んでいく。

いったい、物語はどんな結末を迎えるのか? その期待が頂点に達したところで、いきなりの放送休止だった。
視聴者は待たされ焦らされ、ようやく最終回に辿り着いた。だからこその異例の盛り上がりだったとも言える。

さて、実際の最終回の決着については、「面白かったけど、ありがちの展開だった」という意見が多かったようだ。
火の鳥とかイデオンとかヱヴァンゲリヲンとかグレンラガンとか、過去の壮大な世界観を示した名作のタイトルが、あちこちであげられていたし、海外SFドラマに詳しい人たちやSF小説に造詣が深い層は、それ相応の反応を示した。

日本のTVアニメの2大定番フォーマットのひとつである「魔法少女」を見事にひっくりかえして見せた前半から中盤の展開に驚喜し心酔した視聴者には、「いままでになかった最終回を見せてくれるのではないか」という期待があった。
その期待からすると、まどか☆マギカの最終回は、「ありがち」と言われても不思議はないものだった。
僕も、最初見たときはそう思った。だけど、もう一度最終回を見直して、そうじゃないなと思った。物語の本質は、設定やストーリー展開ではなく、そこで表される人間ドラマにある。

過去名作と言われて歴史を残してきたアニメも人間ドラマこそがその魅力の源泉だった。
ガンダムもイデオンもエヴァンゲリオンも、人間ドラマの凄みが僕らの心を捕らえたのではなかったのか?モビルスーツもイデの発現も人型決戦兵器も、ドラマに厚みを持たせるためのお道具立てに過ぎない。

まどか☆マギカにおける、新しい魔法少女の定義も同じだ。巨大ロボットプロレスがモビルスーツによる宇宙戦争に置き換えられたように魔法少女のあり方も定義し直された。
だけど、ガンダムが僕らの心を捕らえたのは、その凄惨な宇宙戦争の中で描かれる人々の生き様が胸をうったからだ。まどか☆マギカにいい大人が夢中になったのも、魔法少女たちが悩み苦しみながらも生きる姿に心を動かされたからではないか。

まどか☆マギカの最終回で大事なことは、まどかの願いが世界をどう変えたかではなかった。

作中、お互いを思いやりながらも、どこかすれ違っていた「まどか」と「ほむら」。その二人がついにわかり合い「わたしの、最高の友達」と胸を張る。残酷な運命の中で固く結ばれた二人の少女の友情と信頼の物語。
それこそが、奇跡であり魔法であり、作者たちが描きたかったことではないだろうか。

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投稿者:

ともゆき@zubapita

ともゆき@zubapita

作ったモノ 雑誌:月刊アスキー(デスク)、アスキー.PC(副編集長)、インターネットアスキー(編集長)、アスキーPCエクスプローラー(編集長) Webサイト:東京グルメ/ライブドアグルメ、映画を語ろう、本が好き 著書:「Twitter 使いこなし術」「facebook 使いこなし術」 最近は、株式会社ブックウォーカーにて、「BWインディーズ」をやってます。

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