書評「青ひげ」

  「青ひげ」は、シャルル・ペローによる童話だ。ある娘が、金持ちだが青ひげを生やした恐ろしい風貌の男からしつこく求婚される。青ひげは以前に何人もの女と幾度も結婚を繰り返したが、妻たちはいずれも行方不明となっていた。しかし、青ひげの熱心な求婚と贅を尽くしたもてなしに、ついには結婚を承諾してしまう。

 青ひげは新妻に対して、どの部屋を見ても良いが地下の奥の部屋だけはけっして開けてはならない、と言い残して旅に出た。しかし、開けてはならないと言われると余計に興味をそそられ、新妻は我慢できずに禁じられた「開かずの間」の鍵を開けてしまう。地下の開かずの間には行方不明になっていた前妻たちの死体が並んでいた。禁が破られたことを知った青ひげは、新妻をも殺そうとする。

 その同じ「青ひげ」をタイトルにした本書(原題:BLUEBEARD)は、カート・ヴォネガットの12番目の長編小説で、ある邸宅の「開かずの間」を軸に、架空の現代史を背景にしながら、ひと夏の間におきた、ある事件を描いている。


青ひげ

  • カートヴォネガット
  • 早川書房
  • 819円

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書評

 カルフォルニアの海岸沿いの街にある、美しい大邸宅に暮らす孤独な老人ラボー・カラベキアン。
 第二次世界大戦のヨーロッパで芸術家達を率いて勲功を上げ、戦後は抽象画家として脚光を浴びたが、現在は筆を折り、最愛の妻に先立たれ、膨大な現代抽象画コレクションとともに暮らしている。
 美術館のガードマンを自称し、彼のコレクションを見るために次々に訪れる人々に絵画を見せ、質問に答えることで余生を過ごしているが、屋敷の片隅にある、かつて彼がアトリエとして使っていたじゃがいも納屋だけは、厳重に鍵をかけ、誰にも中を見せようとしない。

 そこには、いったい何が隠されているのか?


 いずれわたしが死に、最愛のイーディスのそばに葬られたあと、遺言執行人たちはついにあのドアをあけ、たんなる空虚ではないものをそこに見いだすだろう。しかもそれはあわれっぽいシンボルではない。たとえば、掃き清められた床にぽつんと落ちている折れた絵筆とか、名誉戦勝章とか。
 そこにあるのは気の抜けたジョークでもない。たとえば、ジャガイモの絵とか。自画像でもない。宗教的メッセージを含んだものでもない。ヒントをひとつ−−それはパン入れよりも大きく、木星よりも小さいものだ。

 ある美術雑誌は、納屋の中にあるのは抽象表現派絵画の最高傑作だと主張し、またある人は、第二次大戦のヨーロッパで作戦中に不当に手に入れた傑作美術品を隠しているのだろうと疑った。しかし、どれも「はずれ」らしい。

 そんなカラベキアン老人は、夏のある日、自宅のプライベート・ビーチで一人の女性と出会う。脳外科医の夫を6ヶ月前に脳出血で亡くし、夫の伝記を書くために誰も知り合いがいない場所を探してやってきたサーシ・バーマン未亡人。


「ねえ、あなたのご両親はどんな死にかたをしたの?」と彼女はいった。こっちは耳を疑った。
「いま、なんとおっしゃった?」
「『ハロー』がなんの役に立つというの?」
この言葉でわたしはばったりと立ち止まった。「なにもいわないよりはましだと、昔から思っていたんだが。しかし、まちがいかもしれない。」

 頭の回転が速く、現実的で、奔放な彼女の出現によって、ラボー・カラベキアンの停滞していた日常は再び動き出し、過去の思い出と現在が交錯しながら、流れを速めていく。
 物語は、ラボー・カラベキアンがサーシ・バーマンに進められて書いた自伝という形式をとり、大虐殺を逃れてアメリカに渡ってきたアルメニア人の2世である少年が、画家を志し、挫折を繰り返して成長しながら、芸術家としての生き方を模索する様子を、ヴォネガット得意の人類に対する絶望と皮肉を軽いタッチのユーモアを交えながら語っていく。

 戦争や軍隊や権威に対するヴォネガットの反骨精神と人生論は、いつもながらに共感させられるが、この作品ではそれに加えて、芸術とは? 芸術家とは?という問いかけが、全編にわたって、しかし大上段に振りかぶることなく、登場人物ひとりひとりの生き様を描いた挿話として語られていく。

 物語の背景となっているのは、アメリカ現代抽象芸術の架空の歴史だ。ラボー・カラベキアンの「三銃士」として登場する2人の親友テリー・キッチンとジャクスン・ポロックのうち、ポロックのほうは実在の人物で、現代抽象芸術の代表的画家だ。絵筆から絵の具をキャンバスに垂らすドロッピングやアクション・ペインティングで知られる。
 主人公のラボー・カラベキアンは、バーネット・ニューマンとアーシル・ゴーキーという2人の抽象表現画家を元に創造されたらしい。バーネット・ニューマンはキャンバスをフラットに塗りつぶし直線の組み合わせただけの画風が、アーシル・ゴーキーはアルメニア系であるという点がラボー・カラベキアンと共通している。
 
 これらのモダン・アーティストたちに、徹底的な写実主義のイラストレータや小説家たちがいろどりを添え、芸術の根源となる衝動がいかに人をつきうごかしていくか、が語られている。
 
 話は飛ぶが、天才LISPハッカーにしてエッセイストとしても有名なポール・グラハムのエッセイ集「ハッカーと画家」の中で、ポール・グラハムは次のように書いている。


 ハッキングと絵を描くことにはたくさんの共通点がある。実際、私が知っているあらゆる人々のうちで、ハッカーと画家がいちばんよく似ている。
 ハッカーと画家に共通することは、どちらもものを創る人間だということだ。作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーと画家がやろうとしているのは、良いものを創るということだ。

 ちなみにここでいう「ハッカー」とは、「コンピュータ犯罪者」という間違った意味ではなく、本来の「ハイレベルでクリエイティブなプログラマ」という意味だ。
 ポール・グラハムは、プログラミングはアートに近い行為だと主張していて、僕はこれを読んだ当時、涙が出るほど共感した。僕も今はプログラミングやエンジニアリングを生活の糧としているが、実のところ、ルーチンワークとしてのプログラミングには、まるで興味が持てない。

 僕が文章を書いたり、プログラムを作るときは、多くの場合「青ひげ」に出てくるアーチストたちと同じと言っては不遜だが、説明の付かない衝動に突き動かされて、作り続けている。
 そのせいか、僕は「青ひげ」の小説が昔から好きだったのだが、「ハッカーと画家」を読んで以来、もっと好きになった。

 僕がこの物語が好きなもうひとつは、ラストにある。ヴォネガットはいつも、僕らを行き先の見えない迷路に放り込んで方向を見失わせたのち、予想外だけど納得のいくオチを味合わせてくれる。
 だけど、この青ひげのラストは、それだけでなく、ほかの書評でもよく書かれているように、なんとも感動的なのだ! ある意味、ヴォネガットに不似合いなくらいに感動的だし、しかし、とてもらしくもある。

 いったい、じゃがいもの納屋の中になにがあるのか?

 ひと夏の終わりに読むには、本当にぴったりな小説なので、ぜひみなさんも確かめてほしい。

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投稿者:

ともゆき@zubapita

ともゆき@zubapita

作ったモノ 雑誌:月刊アスキー(デスク)、アスキー.PC(副編集長)、インターネットアスキー(編集長)、アスキーPCエクスプローラー(編集長) Webサイト:東京グルメ/ライブドアグルメ、映画を語ろう、本が好き 著書:「Twitter 使いこなし術」「facebook 使いこなし術」 最近は、株式会社ブックウォーカーにて、「BWインディーズ」をやってます。

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