世界が失ってしまったもの – THIS IS IT

 日曜深夜のレイトショー。道路はガラガラに空いていたのに、六本木ヒルズの644席の大スクリーンは満席だった。しかも、ほかにも2つの小スリーンでも同時に上映している。

 マイケル・ジャクソンの催行されなかった幻のライブ公演を、リハーサル映像とメイキング映像で再現した映画「THIS IS IT」は、まさに大入り満員状態だった。

 マイケルとともに舞台に立つ興奮を語る、膨大な候補者から選ばれた、精悍なダンサーたち。その中央で歌い踊るマイケルは、50歳という年齢を考えれば、驚異的なパフォーマンスを見せる。しかし、全盛期に比べてみれば、歌も踊りも明らかに精細を書いている。伝説のカリスマも、さすがに年には勝てないんだな…。

 しかし、それ浅はかな考えだった。僕らが見ていたのは音楽や照明のタイミングをチェックするためのリハーサルなのだ。そこで年齢を重ねたアーティストがいきなり全力疾走するはずもない。

 次第にヒートアップする観客役のスタッフたちにマイケルが言う。「フルボイスで歌わせないでよ。いまはまだウォームアップをしているんだ。」
 言葉と裏腹に、リハーサルは本物のライブと同様に盛り上がっていく。マイケルの凄さがびんびんと伝わってくる。パフォーマーとしてだけでなく、細かいタイミングのこだわって演出し、共演する若いダンサーやコーラスボーカリストやギタリストたちを鼓舞しながらステージを作り上げていく偉大なアーチストの姿。そこにはワイドショーをたびたび賑わせた奇人変人の陰は微塵もない。
 バッド、スリラー、ビートイット、ビリー・ジーン。そしてジャクソン5のナンバー。’70年代、’80年代をきら星のように飾った名曲たちが、新たなパフォーマンスによって、記憶にあった感動すら超えて紡ぎ出される。
 そこで気がつく。マイケル・ジャクソンは、過去のヒットソングの再演など眼中にないのだ。過去のヒットソングを現代の技術とセンスを使って新たな次元へ昇華させ、単なる再現など遙かに超えたステージを作り出そうとしていた。想像しうる肉体の衰えや長いギャップを考えれば、それはなんという無謀なチャレンジだろう。彼はそれを成し遂げようとしていた。
 しかし、この「THIS IS IT」を何百回見たところで、演じられなかった本物のステージのごく一部を想像するしかない。ここきっと、こうなるはず。ああなるはず。そうやって脳内で補完しながら失われた公演を仮想体験するうちに、「ああ、だけどこう公演は1度も正式に演じられることもなく消えていくんだ」という絶望感に打ちのめされる。マイケルだけでなく、彼を支える演出家やパフォーマーたちの長時間におよぶ努力と夢が、彼の死によって、一度も実を結ぶことなく失われてしまったのだ。なんという、やるせない事実。
 世界が失ったのは、かつて栄光を築き上げたカリスマスターだけではない。これから誰も見たことのない未体験ゾーンに導いてくれたかもしれない、新たな天才の活躍を見る機会を永遠に失ったしまったのだ。
 
マイケル・ジャクソン THIS IS IT デラックス・エディション(初回生産限定盤)(マイケル・ジャクソン)

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投稿者:

ともゆき@zubapita

ともゆき@zubapita

作ったモノ 雑誌:月刊アスキー(デスク)、アスキー.PC(副編集長)、インターネットアスキー(編集長)、アスキーPCエクスプローラー(編集長) Webサイト:東京グルメ/ライブドアグルメ、映画を語ろう、本が好き 著書:「Twitter 使いこなし術」「facebook 使いこなし術」 最近は、株式会社ブックウォーカーにて、「BWインディーズ」をやってます。

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