テレビの時代の終わり

7月 30th, 2008

2011年にテレビを捨てる、という話をよくみかけるようになった。

地デジの非常識 – 池田信夫 blog

こうした非常識な計画に冷水を浴びせたのが、小寺信良氏の報告だった。彼によれば、アナログ放送をやめたフィンランドでは、これをきっかけにテレビを捨てる人が大量に出て、国営放送の受信料収入が大幅に落ち込んでいるという。MIAUのアンケート調査でも、「ダビング10など使いにくい地デジは見ない」という答が多く、「2011年にアナログ放送が止まったらどうするか」という質問に対して、ほとんどの人が「テレビは捨てる」と答えたという。Werbachもいうように、2011年はテレビという20世紀のレガシーに縁を切るいい機会だろう。

たけくまメモ : そうだラジオを聴こう

そんな俺ですから、2011年に地デジに切り替わるのをきっかけに、テレビ見るのを止めろと言われれば、あっさり止められる気がします。20年間吸っていたタバコだって、4年前にピタッと止められましたしね。テレビとタバコって、俺にはほとんど同じもののような気がするんですね。なんとなく止められないというだけで。

アナログ放送の廃止とかダビング10とか、最近のテレビは視聴者に一方的に負担や不便を強いることばかり言ってくる。
それじゃあ、テレビが嫌われたってしょうがない。

なぜ、以前のようにものごとが単純に良くなっていかないのだろう?

いままでは技術革新=いいことだった。
テレビがモノクロからカラーになって、モノラルからステレオになった。
ビデオに録画できるようになって視聴時間が自由になり、画質があがって、HDDに貯められるようになった。
ペイパービューが現れて、コンテンツの選択肢が増えた。

20世紀に登場したテレビ関連の新しい技術は、選択肢を増やすだけで、ユーザーはどれを選ぼうが自由だった。
使いたい人はお金を払い、お金を払わない人は従来のサービスまま使える。

それが、画質をあげる代わりに、録画したものをコピーするなとか、いままでのテレビは捨てろとか、言い出した。
トレードオフを多く要求する技術革新が、世の中に受け入れられるだろうか?

おまけにコンテンツとしてのテレビの魅力はどんどん下がっている。
正直、家に帰ってテレビを点けても見るものがない。ひととおりチャンネルを回して、ニュースをちょっと見てすぐに消す。
本を読むか、ネットにつなぐか、借りてきたDVDを見るか。そのほうが、どれだけマシか。
僕がオタクだからそうなのかと思っていたら、どっちかというとテレビ好きだった奥さんも「最近見るモノがない」と言っている。

行為として「テレビ受信機を捨てる」ことはしなくても、すでにテレビは捨てられ始めている。

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カテゴリー: IT技術、業界

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コメントフィード1件のコメント

  1. ぴよ

    いい方に、人間的・社会的浄化作用が働かなくなってきている社会的現象については・・・
    彼らの社会性・人間性が問題である事は、その時代をクリアしてきた他の先進国の歴史を見ても、しょうがない事なのだろう・・・

    あの時代を知らない若い世代には、知識を得たとしても絶対に理解できない。  あなた達若い世代にも、その悪癖は文化となって、親から伝染しているというのに。
    社会の暗部に飲まれ、多大の苦しみからまた、バブル馬鹿世代が破壊した住みよかった社会文化を少しずつ、回復させてゆくしかない。

    全ては、バブルから始まった・・・
    成功による自己肥大、女性の社会進出による女性的能力の低質化・子供の受験戦争・若年層から始まる社会的思考の減退・・・
    そんな流れが、その狂乱の世界が、自分以外の人の為にやるべき思考、社会性という認識を完全にゼロにしてしまう・・・

    狂乱のバブルが、現上層部の自己肥大を天井知らずにしてしまった。
    成功は自分の力。 自分以下は、人非人。
    そういう感性で社会を見ている。

    チャンスに飛びついたものの中で、確率的に多くの成功者が生まれた時代。
    だから上の世代は、信じられない程の低脳が「成功者」として
    ふんぞり返っている。
    そんな彼らに、合理的な全体論や社会論、人間・倫理学など理解できない。
    誰かの為に思考するという能力が欠落しているから、
    「社会的にこうすれば・・・」
    という、子供でも解る論理が解らない。

    しかし、彼らの羨ましい所は、それにさえ気が付く事なく馬鹿のまま死ねるという事か・・・

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